西普天間住宅地区の文化財

更新日:2021年11月10日

 平成27年度から始まった西普天間住宅地区の試掘確認調査及び緊急発掘調査でさまざまな 文化財が発見されました。

当時の人々の暮らしを知ることができる貴重な文化財です。

現在調査中のため、今後、詳しく紹介していきます。

 

西普天間住宅地区 文化財分布図

新城上殿遺跡[新城の旧集落]

※未返還地

新城上殿遺跡(新城の旧集落)

 新城集落発祥の地として伝承があります。佐喜真興英氏は『シマの話』の中で、「新城のシマは何百年か前、西北方十数町余の所から移転したものと信じられて居て、現に其故地には御岳、屋敷跡などが残って居る」と記述しています。

ユタカノイズミ

ユタカノイズミ

 戦後伊佐の住民が造ったものです。寄棟形にセメント塗された壁面には『伊佐浜水源地 豊之泉 着工1959年2月12日 竣工1959年3月15日』と記されていて、セメント製の香炉が据えてあります。水はシンバルガーから流れてくる水を利用して、戦後すぐに造られました。導水管を敷設し、伊佐浜地区70世帯、北谷町北前区約200世帯の住民が生活用水として活用しました。

シンバルガー

シンバルガー

「アラグスクフルガー」とも呼ばれ、元々の新城古村落(新城集落が現在の普天間飛行場内に移動する以前の村)のムラガーだったと言われています。棚田はなく、周りには畑があったそうです。

ノグニグヮーヌメーヌカー

ノグニグヮーヌメーヌカー

 自然の湧水で、伊佐浜などの近隣の住民や畑仕事をした人たちが利用したとのことです。「ウマアミシガー」とも呼ばれています。屋号ノグニの屋敷の前(北側)の道の下にありました。

無名泉及び古水田跡

無名泉及び棚田跡

ヤマガー

ヤマガー

 集落北から新城方面に向けてある湧水群の一つで、喜友名のナナヌカーの一つです。近くにはヤマガーマーチという大きな平松がありました。また、「フニクンジャー石」と呼ばれる岩があり、「ジンナト」という地名などから、この辺りは、大昔は港だったとの言い伝えもあります。

バシガー

バシガー

 喜友名のナナヌカーの一つです。石積みで造られた湧泉で、大雨でも濁らなかったと伝わっています。落差のある後背を布積みの石垣で3段に分けて積み上げています。

 バシガー上手には、「き きとも奈原」の刻名が彫られた印部石がありました(現在喜友名地内で保管)。喜友名グスクに関係するウナダルヌメー(位の高い女性)が水浴びをしたと伝えられています。

ミーガー

ミーガー

 喜友名のナナヌカーの一つです。石積みで造られた湧泉で、バシガーに似ており、樋口を設けています。湧泉の下流には棚田が広がり、近くには「ミーガーマーチ」と呼ばれる大きな平松がありました。

喜友名グスク

喜友名グスク

 喜友名集落の北側にあり、県道30号線から西普天間住宅地区にかけての標高50mの石灰岩台地に形成されていたグスクです。堅固な野面積みの石垣で画され、門は正門と裏門があり、城壁は約3mの高さがあったと伝わっています。現在のところ、喜友名グスクについての古い記録は見当たらず、誰の居城であるかも不明です。

印部土手と歴史の道の景観

印部土手石と歴史の道の景観

「印部土手石」とは18世紀中頃、琉球王府による乾隆検地(田畑などの測量)の際に設置された図根点(現在の基準点)です。

 今回発見された印部土手石は、円形の土手に30~40cm大の石灰岩礫を土留めとして配置し、中央には、いろは文字と小字名を刻字した砂岩製(ニービ)の印部土手石を配置しています。

歴史の道

歴史の道

「中頭方西海道」は、首里王府からの諸令達や地方からの貢租を運ぶために各間切りの番所を繋いだ琉球御王国時代に整備された「宿道」で、かつての公道です。首里城を起点に、首里平良、大名を通り、浦添の沢岻・経塚・安波茶・仲間・牧港を経て読谷に至るルートで、恩納村から国頭方面を通る「国頭方西海道」へ繋ぐ主要道路でした。

 中頭方西海道の周辺には、複数の湧水を繋ぐ古道や、喜友名グスクから繋がる戦前まで使用していた生活道についても、現在調査が進んでいます。

この記事に関するお問い合わせ先

文化課 文化財整備係


〒901-2203
沖縄県宜野湾市野嵩1-1-2
電話番号:098-893-4439

みなさまのご意見をお聞かせください
このページの内容はわかりやすかったですか
このページは見つけやすかったですか