今日の文化課 2026年7月

更新日:2026年07月24日

7月24日 【我如古ヒージャーガーが育んだ小さな奇跡】

突然ですが、「アカボシタツナミ草」と聞いて、皆さんは何を思い浮かべるでしょうか!?

植物に詳しい方でも首をかしげる名前かもしれません🤔

しかし、プロ野球ファンなら思わずニヤリとするのでは😁??

「赤星」と「立浪」⚾!

かつて球界を彩った名選手たちの名前の組み合わせが、とある植物の名称になっているのです😆

漢字で書くと「赤星立浪草」

偶然とは思えないほど見事な一致ですよね😁

さて、このアカボシタツナミソウが今回の話題となる理由はもちろん名前だけではありません。

これまで、沖縄島では自然豊かな北部の渓流沿いでしか見られないと考えられていた「渓流型」のアカボシタツナミソウが、なんと宜野湾市の市指定文化財である「我如古ヒージャーガー」の湧水にて確認されたのです🤓

↓中央部分の植物が「アカボシタツナミソウ(シソ科)」です😄

アカボシタツナミソウには陸型(通常型)と渓流型とが知られており、

渓流型は陸型より葉が小さく細く、葉の付け根がくさび形になるのが特徴です。絶えず流れる水辺という特殊な環境に適応した姿と考えられています。

では、なぜ渓流環境でもない湧水付近で生息が確認されたのでしょうか。

実はその理由はまだ解明されておらず、今後の研究が期待されています。

琉球大学理学部傳田教授によると、かつてヒージャーガーから湧き出た水が志真志川へ注いでいた頃(現在は暗渠)、志真志川で形成されたアカボシタツナミソウが水の流れに沿って湧水側へ逃げ込み、そこを避難場所として現在まで生き残っている可能性があるとのことです💦

もしそうだとすれば、この小さな植物は、昔の水の流れや宜野湾市の自然環境の歴史を今に伝える「生きた証人」と言えるのかもしれません。

4月に紹介した喜友名泉(チュンナーガー)での生息が確認された希少植物「コナミキ」に続き、今回のアカボシタツナミソウの発見は、宜野湾市の湧水が今なお豊かな自然を育み、多くの命を守り続けていることを改めて教えてくれます✨

普段何気なく目にする湧水も、足元にはまだ私たちの知らない小さなドラマが隠されているんですね🫡

まさに「汝の足下を掘れ、そこに泉湧く(by ニーチェ)」!

沖縄学の父として知られる伊波普猷も愛した言葉です😁

実は「地元」にこそ、自分が探し求めていた「お宝(興味)」が眠っているものかもしれませんね♪

7月23日 【教師ジンジンジノーン物語!】

かつてお茶の間を沸かせた熱血教師ドラマ的なタイトル、伝わりますでしょうか😅

昨日は、今年度から宜野湾市内の学校へ赴任となった教員の方々を対象に、宜野湾市の歴史文化を学んでもらう事業「初任者研修・文化財巡検」を行ってきました🫡

宜野湾市出身の先生方もいらっしゃいましたが、「長く宜野湾に住んでいるのにこんな文化財があるとは知らなかった!」との声も多く😁

「すごくいい経験と学びになりました!」と嬉しい反応を数多くいただきました♪

まず子供たちの「学びの師」である先生方に、宜野湾市の歴史や文化の興味深さ面白さを深く知ってもらい、その実体験を経た先生から教わることで子供たちへの伝わり方や感じ方も全然違ってくると思うんですよね😄

そしてまた、文化課ともコラボ教室を開催したり出張講座を行ってみたりなどして、より深い地元愛を育んでもらえるつながりになれば嬉しいなと思います💪

今回の初任者研修では、市内6~7カ所を巡ってきたのですが、これまでの流れとは少し趣向を変えて、各文化財においてのまずの簡易説明を先生方に行ってもらうという形をとってみました。

となると、先生方には事前学習が必須となり😅 

ただその分、いざ実物と対面した時の感動や印象もより深いものになってくれたかなと思います。

そしてさすがは先生方!みなさんしっかりと調べ、まとめ上げ、はっきりとした口調でとても分かりやすく説明してくれました😄

文化課の方では補足説明や、文化課だからこそ知っている文化財裏話などをお伝えしました😁

参加された先生方、お疲れ様でした!

より一層宜野湾市への理解と愛情を深め、子どもたちや親御さん、そして市内外に宜野湾市をPRしていきましょうね~😄

7月17日 【明日から夏休み!夏休みには文化財見学を🖼️】

いよいよ明日から、子どもたちにとっては待ちに待った夏休みですね😃

我々文化課の方でも、夏休みに向けて子どもたちや家族そろって見学を楽しめるように文化財の清掃を張り切って行っていますよ🧹

今年で第34回目を迎える、宜野湾市の小中学生を対象とした「ぎのわんの文化財図画作品展」の作品募集も決まっていますので、ぜひ皆さんこぞって応募してもらえればと思います😁🖍️

宜野湾市の文化財一覧はこちらからご覧になれます♪

そんな中、ここ数か月で環境の景観が大きく変わりそうな文化財を、今のうちに見学しておくのはいかがでしょう📸

という一例を紹介をしてみたいと思います。

それは伊佐に所在する【伊佐浜「新造佐阿天橋碑」(市指定史跡)】という、琉球国時代に川に石橋を架けたことを記念して建てられた石碑です🫡

現在、現地に建っている碑はレプリカではありますが、拓本を基に忠実に再現しており、往時の様子を窺い知ることができます。(オリジナルは市立博物館所蔵)

碑文の要約としては、

”かつて人々が行き来する正路は内陸部にあり、曲がりくねって険しいため、人々は平坦なこの道(石碑の前の道)を好んで通った。しかしここには一本の川(現在の普天間川)があり、大雨になると氾濫し行き来が妨げられた。そこで国王は民のために橋を架けることを許し、立派な石橋が架かった。そのことを記念し永く後世に伝えるためここに石碑を建てた。”

的な内容です。上記にある「内陸部の道」というのが、実は我々が現在力を入れ国指定を目指している西普天間住宅地区跡の「歴史の道」となります。

かつて石碑の前には海が広がっていました。海のすぐ側を軽便鉄道も走っていました。

同じ角度の現在の様子。

つい十数年前までは、団地があったのを覚えている方も少なくないはず😀

この駐車場の反対側に空き地があるのですが、その空き地の造成が始まっており、何が建つのかまでは把握できていませんが、視界環境が変わってくるのは間違いないと思われます。

ということで、ぜひ今の状況の佐阿天橋碑も目に焼き付けておいて(絵画の題材としてどうでしょう!?)、数年後の環境変化を経た佐阿天橋碑と比較してみるのも興味深いのではないでしょうか😄

それでは、アチコーコーなウチナーサマータイムを存分に楽しんでいきましょう~♪

文化財見学も楽しんでくださいね😁

7月10日 【ぎのわんの文化財 改訂版発行に向けて】

ジノーンチュの皆さん、そして県内外の文化財ファンの皆さん!

宜野湾市内の文化財情報が満載な、「ぎのわんの文化財」という冊子をご存じでしょうか📔

実は30年以上前に初版を出版して、定期的に改訂版を発行しています🫡

新しく文化財が指定されれば、年々文化財の数も増えていきますし、文化財の周りの環境も年を重ねるごとに変化が生じるわけで。

内容やデザインにもアップデートを加え、定期的に改訂版を発行してるわけなんです😁

そしてなんと今年度!新たな改訂版を発行する予定となっています🫡

そこで、毎月の文化財定例パトロールの撮影とは別に、文化財清掃直後の一番写り映えするタイミングでの撮影も行なっています📸(ある程度草が伸びてる方が映える文化財もあったりしますが😅)

ということで本日は、まさに先日清掃したばかりの「宜野湾市森の川」のワンショット!

水量もコンコンと豊富で、この灼熱の夏に涼を取れる最適なスポットですよ♪(ただ、ガジャン🦟多し😅)

せっかく訪れてもらった際には、湧き出る樋の後ろ側にある拝所にも手を合わせてみてください😄 昔から人々にとって「湧水」が、どれだけ大切なものだったのかを感じられると思います。

せっかく綺麗になった文化財たちも、台風や大雨などでまた汚れてしまうのは仕方ないことですが、そういう長年の繰り返しを経て今でも私たちの目の前に存在してくれて、歴史文化の大切さを伝え続けてくれています。

みなさんも、これまでより少しだけ意識して文化財に接してもらえると嬉しいです😄

改訂版「ぎのわんの文化財」も楽しみにお待ちください😁♪

7月6日 【宜野湾市は那覇市に次ぐナンバー2!?】

先日、「祝!宜野湾市制64年!」というお話をしましたね😁

1962年に宜野湾村から宜野湾市になって今年で64年、その市になった7月1日を祝して「宜野湾市民の日」としていますと🫡

そんな宜野湾市ですが、県内の市町村対比表などで、なぜか那覇市に次いで二番目に表記されるリストをよく見ることがないですか?

たとえば沖縄県内の市町村名称リストだとか、市町村の人口リストとか。文化財のリストでも結構その順序で表記されるのです。

特に官公庁が公開しているリストだと、宜野湾市はほぼ那覇市の次に表記されています。

(沖縄県令和7年人口移動報告年報より)

なんでかね~🤔

人口では10万人を超えてはいるけど、県内5位です。

面積の大きさでいえば、実は20位以下になっています。

となると、なぜ二番目に表記されるのか?

実はそこには、1968年に国内で標準化された「市区町村コード」という表記規定があったのです😁

たとえば宜野湾市ならコードが47205、那覇市は47201です。

47は沖縄県を表し、2は市(3は町村)、下二ケタが各市町村に振り分けられる番号となっています。

ん?であれば那覇が01なのはなんとなく分かるけど、なんで宜野湾は二番目表記なのに02じゃないの?

ここに面白い歴史が絡んでくるんですね~😄

答え合わせをすると、02は「石川市」、03は「具志川市」、04は「コザ市」、そして05が「宜野湾市」なのです♪

02~04の共通点は? そうです、合併や市名が変わってしまい今では存在しない市名なんです😁

なので、新しくなった市は後ろに回って新たな番号をふられ、沖縄市は11、うるま市は13となっているわけなんです🫡

宜野湾は村から市に昇格はしたものの、名称自体が変わらなかったのと、1968年当時にはすでに宜野湾市となっていたので、番号自体は05のままですが、表記順位は繰り上がって二番目になっているというカラクリなのです😆

万が一那覇市が名称変更になったら?? 

宜野湾市が一番目に表記されることになるのかもしれませんね😁

那覇市の名称変更なんてありえないか😅

逆に、実は1971年には、宜野湾市と中城村と北中城村が合併し、新しい市が誕生する一歩手前、いや0.1歩手前まで話が進んだ歴史があったことをご存じですか!?

「11月から新しい市に」というタイトルの市報記事まで出ていたほど実現目前だったんです😬

しかし土壇場になって中城村議会の反対多数となり、結局合併が流れたという経緯があったんですね。

実現していたらば、そうとう大きい市になっていたんでしょうね😅

役所に行くのも大変やさ😅

ジノーンはこれからもジノワンダフルで、ナンバー1ハートフルシティを目指していきましょう😆

7月2日【「宜野湾市民の日」と姉妹都市「岩国市」にふれる】

昨日「7月1日」は、今から64年前の1962年7月1日に、「宜野湾村」から「宜野湾市」に昇格したことを記念し制定された「宜野湾市民の日」でした😄

市民会館では、長年にわたって市政に功労のあった方々の表彰式典が行われましたよ💪

実は一年前の「宜野湾市民の日」には、「宜野湾市・岩国市姉妹都市提携協定式」が行われ、岩国市から市長や議員さんたちも宜野湾を訪れ盛大な式典が開催されたんです😃

そして今年は、姉妹都市となって一周年を記念して、市立博物館にて岩国市パネル展が行われています🖼

岩国といえば!の「錦帯橋」についての説明文、さらにビデオの放映も行なっています😁

木造でありながらこのような強度を保つ仕組みや、この特徴的な形を思い付いたあるきっかけも興味深かったですよ♪

姉妹都市として、ぜひ興味を持って見に行ってみてください😄