今日の文化課 2026年9月
【歴史の道講座 文化財教室】本日、受付スタートです!
みな様へ
本日9/16(水曜日)より、受付はじまりましたよ~!
『宜野湾歴史の道 ~中頭方西海道(宜野湾)編~ 』
朝から申込みをいただいています(感謝) まだ空きあります。

第一回10/17(土曜日)10時~12時 宜野湾市立中央公民館2階
第二回11/21(土曜日)10時~12時 宜野湾市立中央公民館2階
第三回 現地見学会(令和8年12月又は令和9年1月予定)野外(西普天間住宅地区)
対 象 どなたでも *現地見学会は少し足場が悪いです。
参加費 第一回、二回:無料。第三回のみ保険料徴収を検討(50円~100円)
申 込 下記の番号へ、お電話にて申込み*先着順
098-893-4430 平日午前9時~午後5時(宜野湾市教育委員会文化課)
第一回講座(10/17)は3D画像やPR動画も使用して【楽しく・分かりやすく】をモットーに準備中です。
西普天間住宅地区 3D化した歴史の道遺構【3D動画A・B・C】

*【3D動画C 新城地区の中頭方西海道】道遺構は現地保存されています。
【3D動画A】中頭方西海道とグスクンダのT字路(約30メートル)

リンク先
https://youtu.be/WwZ6FZ6Cj30?si=IB9PHOuaO2Mi7p7p
【3D動画B】中頭方西海道と印部土手石付近(約70メートル)

リンク先
https://youtu.be/ULAj1Fh71U4?si=i1ZaO7-cQSE6LnDo
【3D動画C】新城地区の中頭方西海道(約80メートル)

リンク先
https://youtu.be/mqoH8DFsZOA?si=Q8Bm8jQK6aoX5dLY
【宜野湾歴史の道PR動画】

https://www.youtube.com/watch?v=5KP1D5ssEpg
ps.今回のテーマは『中頭方西海道と宜野湾間切の集落』です。
近世琉球(江戸時代初期)に誕生した宜野湾間切と宿道(しゅくみち)、その西側ルートである『中頭方西海道(宜野湾)』の特色、さらに、新城出身の民俗学者、佐喜眞興英氏の著書『シマの話』について、ご紹介します。
第一回は概要編(宿道・近世の間切「宜野湾」と集落)をお伝えします。
第二回は深掘り編(宿道と集落・『シマの話』から何が読み取れるのか)
*集落と農業を切口に、近世宜野湾の世界を深掘りします。
*講師は山元貴嗣 氏(琉球大学 准教授【文化・歴史地理学】)にご登壇いただきます!!

講座、先着順ですよ~~!
9月11日 【基地の中に消えたムラ、安仁屋について知ろう】
せっかくなので、こちらの「今日の文化課」をご覧になってくださっている皆さんにも、現在イガルー・シマ文化財教室で取り上げている「旧安仁屋区」のことについて少しでも興味を持ってもらえればと思います。
ん?宜野湾に安仁屋って地域あるの?どこ?
と思ってしまう方が大半だと思います。
それもそのはず、安仁屋は「元」あった集落であり、現在は基地の中に消えてしまった村なのです。
ウチナーグチでは「アンナ」です。
そもそも安仁屋は琉球国時代から特殊な経緯を辿っていて、近世以前は宜野湾ではなく北谷の一部だったのです。
1671年、ようやく宜野湾間切は誕生しました。それまでの現宜野湾市エリアは、ほぼほぼのムラが浦添間切に属していました。
宜野湾間切の創設に伴い、浦添間切から10ムラ、中城間切から「寺普天間(普天間)」、「前普天間(野嵩)」の2ムラ、北谷間切から「安仁屋」の1ムラを分け、新たに「真志喜」1ムラを新設して14ヵムラで構成されました。
だからということもあるのか、安仁屋の方々は、戦前に至るまではどちらかというと北谷の人々との交流が強かったようです。
そして沖縄戦が始まり、宜野湾村の土地はほぼ米軍に接収されました。その後次第に帰村が許されていく中でも、元の集落地が基地内にあるために戻れずその近くに移り住んだり、新たな地に集落形成を余儀なくされたりという状況が続きました。
方や安仁屋はというと、その集落域全てが接収され、近くに移り住むことさえもできず野嵩や普天間に移り住むほかありませんでした。

↑1945年 沖縄戦直前の安仁屋

↑現在の旧安仁屋辺り(キャンプズケラン内)
いつの日か地元に帰れることを夢みながら時は過ぎ、1963年の宜野湾市行政区設置規程の改正によって、ついに宜野湾市の行政区の中から「安仁屋」の名が消えてしまったのです。
しかし安仁屋出身の方々は結束して安仁屋郷友会を発足し、戦後80年を超えてなお、今日に至るまで地元安仁屋を決して忘れることなく親睦交流を続けています。
今回のイガルー・シマ文化財教室「安仁屋編」でも、郷友会の方に事前の聞き取り調査でご協力いただいたり、講座の方にも参加されていただいております。
集落跡は消え去ってしまいましたが、祈りの対象である御嶽などは現地にまだ残っており、今回の基地内見学ではそのあたりの文化財見学を予定しているというわけなのです。
↑安仁屋のトゥンヤマにある合祀所
すでに参加申し込みは打ち切っておりますが、
追ってこちらの「今日の文化課」などで紹介していければと思っています😄
ちなみに人名としての安仁屋さんはそこまで少なくないですし、親近感はありますよね♪
そしてやっぱり安仁屋といえば、広島カープの巨人キラー安仁屋宗八!を思い出しますかね😁
しかし琉球史好きな人にとっては、あの牧志朝忠の語学の師である「安仁屋政輔」の方が思い浮かぶのではないでしょうか😆
ただ、「アンナ~♪」といえば甲斐バンド一択ですけどね😂
返還された西普天間住宅地区には、旧安仁屋に近いことから名付けられた「アンナはし」が架かっていますよ🫡

9月8日 関心度の高さが伺えた「イガルー・基地内文化財編」!
あきサマーよー!サマーも終盤、あっという間に9月になとーん🤣
いや~、さすがにここ数週間は忙しかった~!
ぬんが?
じつは、去った土曜日、本年度の第一回目【イガルー・シマ文化財教室】がついにスタートしたのです!
その準備にてんやわんやで、開催数日前までテキスト内容の見直し差し替え、そしてもちろんテキストはお手製ファイルで70冊!
最後の一冊が綴じ上がった瞬間の達成感は、なんとも気持ちよかったさ~😁

さて、今年度のイガルー・シマ文化財教室のテーマは!
【旧安仁屋区・基地内の文化財】
と題しまして、
そうなんです、なんとイガルー講座始まって以来の、米軍基地内に残る文化財を学ぶ内容になっているのです。
ご存じのように、米軍基地として接収され、基地内に残されたままの文化財(各集落の御嶽や湧水など)は今日でも数多くあります。
普段見ることができないだけに、関心ある方多いだろうな~と予想はしていましたが、うりひゃー!
募集開始日にはすでに定員の2/3が埋まり、数日で満員御礼となりました😆
その後も応募が続き、泣く泣く断らざるを得ない状況が続きました。(座学のみの参加は受け付けております)
今回は基地内への入域も予定しているため、いろいろな制約事項もありまして、そのための説明案内や本人確認事項など様々あって、第一回目はどうなることやらと思いましたが、思いのほかスムーズに進めることができました!
みなさまの温かなご協力、まことにありがとうございます😄
第一回目【旧安仁屋区を知る】を終えて
受講生から頂いたアンケートの声には、
”安仁屋は現在の行政区として存在していないので、まったく無知であった。集落の詳細図などとても参考になった”50代男性
”安仁屋があった位置が思っていた場所とは違っていて、勘違いを直せて良かった”50代女性
”講座で紹介されていた博物館の所蔵物に興味が湧いた。実際に行ってみる”60代女性
”資料などにより理解が深まった。郷友会としてありがたかった”60代男性
”今後も市民に対しいろいろな機会を通し、開かれた市民講座やフィールドワークを開催して欲しい。そうすることで若い方にも市の文化財や歴史の成立を理解できる方が増えてくると確信する”60代男性
”宜野湾市出身ではないが、歴史から土地を見ることで自分の出身地にも応用して自分なりの調査ができるのではないかと感じる。土地を歩いて歴史を見つめる重要性を改めて知ることができた”30代女性
などなど、とても嬉しい声をたくさんいただきました😆
今回は過去にないほど多くの人数が受講してくれたのと、これまでよりも若い方たちの姿が多く見えたことがすごく嬉しかったです😃 なかには子供連れのご家族もいらっしゃいましたよ!

この講座を通して何かしらを学び感じ、そしてこれからの宜野湾市へのさらなる関心と愛情へとつながっていくことを願っております♪
基地内見学に関してはすでに定員に達しリストも完成しているため、今後の応募は受け付けられませんが、12月19日の座学「普天間基地内の文化財」についてはまだ参加可能です。
ご興味ありましたら、ぜひご参加ください😄
おまちしておりまーす♪





















更新日:2026年09月17日