野嵩石畳道

更新日:2020年11月10日

 

野嵩石畳道は近世首里王府時代に整備された首里と間切を結ぶ公道です。

いわゆる「宿道」に築かれたものです。

琉球王府時代に整備された首里と各間切の番所を結ぶ公道を、宿道と言います。間切は現在の市町村、番所はその役場に相当します。野嵩石畳道は、宜野湾間切と中城間切を結ぶ宿道に築かれた石畳道で、かつては野嵩区の東外れから普天間川に架かる我謝橋まで、約120m続いていましたが、現在はその一部のみが残されています。

1458年の「護佐丸・阿麻和利の乱」の際、阿麻和利の軍勢に敗れた護佐丸の妻子がこの石畳道を逃げたとされ、追っ手から放たれた矢が彼女の袖を引き裂いたことから、「袖離れ坂(スディバナビラ)」という別名もあるそうです。

 

 

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