野嵩スディバナビラ石畳道(市指定史跡)

更新日:2023年04月18日

野嵩スディバナビラ石畳道

野嵩スディバナビラ石畳道は近世琉球(1609~1879)に首里と各間切を結ぶ首里王府の公道として整備された「宿道」の一部です。間切は現在の市町村で番所は役場に該当し、野嵩スディバナビラ石畳道は宜野湾間切と中城間切を結ぶ宿道の途中にあります。野嵩区の東外れから普天間川に架かる我謝橋まで、約120mが確認されており、現在は県道の東側のみが通行できますが、今後、西側も整備され野嵩区までの通行が可能になります。

 「護佐丸・阿麻和利の乱」(1458)では阿麻和利の軍勢に敗れた護佐丸の妻子がこの石畳道を通って逃げたとされ、追手から放たれた矢が彼女の袖を引き裂いたことから、「袖離れ坂(スディバナビラ)」と呼ばれるようになったそうです。

 

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