ぎのわん市の沖縄戦~”あの日の記憶”を語り継ぐ

更新日:2021年05月10日

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体験者インタビュー動画(50音順)

戦争体験者証言集 石川信一さん(嘉数区)

戦争体験者証言集 伊波義雄さん(嘉数区)

戦争体験者証言集 大城勇一さん(上大謝名区)

戦争体験者証言集 呉屋稔さん(普天間区)

戦争体験者証言集 瀬名波起廣さん(上大謝名区)

戦争体験者証言集 玉那覇昇さん(宜野湾区)

戦争体験者証言集 玉那覇祐正さん(宜野湾区)

戦争体験者証言集 前田晴子さん(嘉数区)

戦争体験者証言集 宮城勲さん(嘉数区)

多文化共生推進事業の一環として、英語字幕も作成しました。

英語字幕の視聴方法はこちらから ⇒ 英語字幕視聴方法(PDFファイル:980.5KB)

市内の戦跡MAP

宜野湾市戦跡MAP

マンガで知ろう『ぎのわん市の沖縄戦』

戦争体験談_漫画

沖縄戦のできごと

注釈:太字は宜野湾市に深く関わるできごと

沖縄戦のできごと
1941年  
12月8日 日本軍が真珠湾(しんじゅわん)を攻撃。太平洋戦争が始まる
1944年  
3月22日 大本営、沖縄守備軍(第32軍)を編成する
8月22日 沖縄からの疎開船(そかいせん)「対馬丸」が米軍の攻撃により沈没。学童らを中心に1,400人以上が命を落とす
8月28日 普天間・宜野湾・嘉数国民学校の学童疎開者(がくどうそかいしゃ)が軍需貨物船「伏見丸」にて、宮崎県東臼杵郡東郷村(現:宮崎県日向市東郷町)へ出発
10月10日 十・十空襲。夕方まで5回にわたり、のべ約1,400機の米軍機から爆撃(ばくげき)を受ける
1945年  
3月26日 米軍、慶良間諸島(けらましょとう)に上陸
4月1日 米軍、沖縄本島の読谷-北谷海岸より上陸
4月3日 米軍、普天間東西の線まで進出する
4月4日ごろ 野嵩に民間人の捕虜収容所(ほりょしゅうようじょ)が設置される。米軍、北谷・島袋・大山・宜野湾の線まで進出
4月6日ごろ 嘉数高地で戦闘が始まる。
4月8日 米軍、西海岸の宇地泊-嘉数-我如古-南上原-和宇慶の日本軍陣地を全線にわたって攻撃する
4月19日 米軍、嘉数地区に猛攻撃
日本軍の激しい抵抗により、米軍は20輌(りょう)を超える戦車を失う。のちに米軍資料では、嘉数高地が「いまいましい丘」と記された
4月21日 日本軍が嘉数地区を撤退(てったい)する
4月24日 浦添市の前田高地で戦闘が始まる
5月12日 那覇市の安里52高地(米軍はシュガーローフと呼んだ)で戦闘が始まる
5月27日 第32軍司令部は首里から南風原の津嘉山を経て、5月29日に摩文仁(まぶに)に到達
6月 普天間飛行場の建設が始まる
6月23日 牛島満司令官、長参謀長が摩文仁で自決。日本軍の組織的戦闘(そしきてきせんとう)が終了する※別資料では牛島司令官、長参謀長の自決は6月22日
7月2日 米軍、沖縄戦の作戦終了を宣言
8月15日 日本が無条件降伏。これにより太平洋戦争が終結する
9月7日 米軍、越来村森根(現嘉手納飛行場)にて降伏調印式を行う
1946年  
2月上旬 宜野湾村民、久志村(現名護市の一部)や宜野座、石川から宜野湾村へ帰村
3月 宜野湾村民、前原、胡差からの設営隊派遣、その後、帰村
6月 知念村から宜野湾村民、帰村
10月 宮崎県から宜野湾村の学童疎開一行、沖縄へ帰る

参考文献
『宜野湾市史』第3巻 市民の戦争体験記録
『戦禍と飢え 宜野湾市民が綴る戦争体験』
『宜野湾 戦後のはじまり』(第2版)
『沖縄戦を知る辞典 非体験世代が語り継ぐ』
『沖縄県史』各論編 第6巻 沖縄戦

『ぎのわん市の沖縄戦』リーフレットをご覧になりたい方はこちら

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