1.野嵩収容所

1945年4月1日の米軍の本島上陸から数日後に民間人の捕虜収容所として設置されました。
民家の母屋をはじめ、家畜小屋に至るまで収容施設として使われ、戦後初期のピーク時には、宜野湾の人だけではなく、那覇や島尻方面の人たちも含め、1万人余りの人々が収容されていました。
※住宅地のため見学の際は、近隣にお住まいの方々へ迷惑にならないように心がけてください。
- みなさまのご意見をお聞かせください
-
1945年4月1日の米軍の本島上陸から数日後に民間人の捕虜収容所として設置されました。
民家の母屋をはじめ、家畜小屋に至るまで収容施設として使われ、戦後初期のピーク時には、宜野湾の人だけではなく、那覇や島尻方面の人たちも含め、1万人余りの人々が収容されていました。
※住宅地のため見学の際は、近隣にお住まいの方々へ迷惑にならないように心がけてください。
更新日:2021年03月18日