今日の文化課 2024年7月
7月31日 まさか!?宙に浮いた沖縄平和祈念像原型!
沖縄平和祈念像原型復活事業は着々と、そして信じられないほどの構想・技術のもとに進められています!
今回はその様子をお伝えしましょう♪
(7月初旬の記事で復活事業、そして祈念像制作者である山田真山氏のことをお伝えしています)
初めて今回のプロジェクトの構想を聞いた時にはとんでも驚きましたね(^^;
まさかこちらの巨大な原型像を(損傷も激しい)、さらに巨大なコンクリート造りのアトリエ内からそのままの姿で引っ張り出し、新しく造られる建物内に移動・展示させるというんですから!
そんなことが本当に可能なの!?と(^^;
(↑ 普天間にあるコンクリート造りのアトリエ)
それが今回実際の現場を見て、なんともびっくりまさかひゃー!
今日現在、本当に原型像が宙に浮いているんです!(浮いていると表現させて^^;)
これなら確かに移動できそう!
ではいよいよ、どのような工程を経てきたのかをお伝えしましょう♪
まずアトリエ内ではこれまで、上写真のような状況で原型像が保管され続けてきました。
制作にあたっては、土の上に大きめの石を円状に敷き固めて基礎土台とし、その上にコンクリートの台座を築き原型像の制作を進めていったとみられるとの話でした。
なので、結論から言えば「土台下に潜り、土を掘りだし最終的に像を土台ごと浮かせて移動させる!」というなんともシンプルだけど壮大なプロジェクトだったわけなんです!
発想がなんともすごいですよね(^^;
手始めに土台周りのコンクリートを除去し、像の土台下に穴を空けて徐々に土を掘りだしていく。
ある程度掘り出したら、一定間隔で像全体を支える支柱のような組み物を設置していく。
これを繰り返し、最先端のレーザー機器などで寸分違わぬ水平も取りながら、掘っては組み立て、掘っては組み立ててを繰り返し(逆ジェンガのような!?)、最終的に土に差し替えた支柱で土台ごと像を支えるというウルトラミラクルプロジェクトを完工させたのです!(私のような素人には分かりようもない緻密な計算や、様々な最先端技術がまだまだ盛り込まれていることでしょう^^;)
表現が正しいかどうかは別として、、↑ まさに宙に浮いているようにも見えますよね!?
真山だけに「宇宙即我」!なんつって。(*宇宙即我は山田真山の理念でした。)
ほんとケタ違いのものすごさ!に感心しまくりでした♪
これから先の工程は、底の土間部にコンクリートを流し込み、像の安定を完全にしたうえでアトリエ建物の解体に着手、その後新しい建物内へと気の遠くなるような歳月をかけミリ単位で移動させていくようです(^^)
こちらのプロジェクトではクラウドファンディングでのご支援も募っております。
みなさんからの応援お待ちしております(^^)
今後も定期的に進捗状況をお伝えしていきますので、楽しみにお待ちくださ~い♪
7月30日 跡地公園内「歴史の道」スタートラインは「喜友名泉」
先日、西普天間住宅地区内の文化財登録に向けての熱い想いを伝えさせていただきました(^^;
文章だけではなかなかイメージが湧きにくいかとも思います。せっかくなので、返還地エリアで発掘された史跡や風景などもこちらで順次紹介していきましょうね♪
まずは「喜友名泉(ちゅんなーがー)」
こちらは今回返還されたエリアにあるわけではなく、基地のフェンス沿い(外)にあるのですが通常は施錠されています。昔から喜友名の人々の重要な生活水源として利用され、その巧みな石造構造や石積み技術などから1992年に国指定有形文化財【建造物】登録を受けました。(見学ご希望の方は、希望日1週間前までに文化課もしくは喜友名自治会にご連絡ください)
西普天間住宅地区返還跡地ではこの喜友名泉をスタートラインとして、跡地内を北谷方面に伸びる琉球国時代に整備された道「中頭方西海道」跡と、その沿線に連なる史跡群を「宜野湾歴史の道(仮)」として国指定登録を目指していきたいということなんです(^^)!
それぞれの史跡単体でも十分価値があると思っていますので、機運を高め皆で文化財指定を目指していきましょう!
7月26日 西普天間住宅地区跡地から国指定登録文化財を目指そう!
今週は二件も大きな文化財案内がありました。一つは先日お伝えした「宜野湾市初任者研修」で、今年度宜野湾市に初赴任となる教員の皆さんへ市に所在する文化財を知ってもらう見学会。そしてもう一つは沖縄県の文化財課の職員の方へ、現在開発プロジェクト真最中の西普天間住宅地区返還跡地に残る史跡群を見てもらう案内でした。琉大病院が移転開院するあのエリアですね。
なぜ県の文化財課職員に市の史跡の案内を?勘のいい方はピンと閃いたかもしれませんね(^^)
そうなんです、米軍基地跡地ということは、戦後何十年ものあいだフェンスに遮られ人目を遠ざけられていたり、米軍施設造成のため地中に埋められてしまった戦前までの生活史跡が数多く残っていると考えられてきたわけなんです。
返還に伴う発掘調査を行うと、やはり見込み通りに戦前まで使われていたカー(湧き水)がいくつも発掘されたり、御嶽や印部土手石、生活道跡、遡れば江戸時代の道跡、さらにはグスク時代の住居跡なども発掘されたのです!
特に今回返還されたエリアの喜友名部分は、喜友名泉をはじめとしていくつもの泉が連なる水どころ=ターブックヮー(水田)で知られる風光明媚な土地でした。基地の造成時に埋められたそれらの泉群が今どんどんと再びその姿を現しているのです。
新しいまちづくり開発に伴いそれらすべての史跡をそのまま残すということは困難ではありますが、どうにかできる限りの対応をして残せるだけ残していこうと試行錯誤するのも文化課の大事な仕事であるわけなんです。
これらの泉群および史跡群のつながり一帯を緑地公園化し、琉球・沖縄そして宜野湾が辿ってきた歴史を学べる重要な文化財として保護し末永く後世にも伝えていく。
まさに「宜野湾歴史の道(仮)」として国指定の文化財登録を目指しているわけなんです!
その足掛かりとして、県の文化財課の職員にもそれらの史跡群を実際に目にし歩いて感じてもらいたかったというわけなんですね♪
県としても沖縄に残る歴史的貴重な史跡財産を文化財登録していきたいという気持ちは一緒。より重要性の求められる国指定登録を目指し、文化庁への申請プロセスのアドバイスや文化財登録に向けてのストーリー作りのヒントなどを助言いただきました(^^)
見学された史跡への反応も好感触で、これはぜひ数多く残してより多くの人に知って親しんでもらうべきだよね!と♪
そしてみなさん、国指定文化財登録に向けてより大事なことがあります。
それは市民・県民の皆さんの関心度なんです!
そう、あなたの興味が必要なんです!
まずは、10月からこちらの西普天間住宅地区返還跡地の文化財教室を開催します♪
また、定期的に現地見学会の開催も検討していますし、声があればそこにお答えする見学会や勉強会も検討可能です。
ぜひ、我々に残されたこれらの大切な歴史財産を、国指定登録に向けてともに進めていきましょう!
*文化財教室の詳細などは、こちらのブログやフェイスブック、インスタグラムで発信していきます。
7月22日 宜野湾市初任者研修で学校の先生たちと宜野湾の学び!
本日、今年度宜野湾に初めて赴任された小中学校の先生たちの初任者研修がありました(^^)
文化課では宜野湾市に所在する文化財や宜野湾の歴史講座を担当しました。
市の文化財や歴史について学び、実際に現場へも足を運んで目や肌で感じてもらうことで、地元への理解と今後学校で行うローカル学習への深みが増してくれたと思います。
さすが教員という職業だけあって、皆さん一つも聞き漏らすまいと必死に耳を傾ける様子や、すらすらとメモを書く様子にもさすがだなー!と感心しまくりでした(^^)
今回縁あって赴任された宜野湾!
思い切り好きになってもらって、宜野湾愛あふれるティーチャーとなって、ともにジノーンを盛り上げてもらえることを期待してまーす(^^)!
7月19日 イガルー・シマ文化財教室も始まります!
「目指そう宜野湾博士ちゃん!」
どこかのテレビ番組でも聞いたことあるようなフレーズですが(^^;
先日お伝えした「野嵩スディバナビラ石畳道文化講座」に引き続き、8月からはまた別の宜野湾市文化財講座「イガルー・シマ文化財教室」もスタートします!
「スディバナビラ」に続き「イガルー・シマ」
これまた変わったタイトルとなっていますが(^^;
「イガルー」というのは「ワッター、俺たち、私たち」という意味を持つ宜野湾全域で使われてきた古いウチナーグチで、「シマ」は現在でも使ったりする「集落、村」的な言葉ですね。なので「ワッター村の文化財教室」という風に捉えてもらえればと思います。
宜野湾市で20年以上続く文化財教室で、今回第21回目を迎えます。その年々でテーマを決め、約半年かけて学んでいきます。
そして今年度のテーマは、
「屋取集落」!
ん?なにそれ?と思われる方、
なんか聞いたことあるぞ?と思われる方
などなどおられると思いますが、
「屋取」とは、首里や那覇など、他方から地方に移住した士族によって形成された近世小集落のことをいいます。
宜野湾市にも、元々「屋取」だった集落が発達して現在自治区となっている区がいくつかあります。その中から今年度は「長田」「真栄原」「中原」「愛知」を取り上げて学んでいきます。
宜野湾市の歴史を学び、理解を深め、ともに後世に伝えていきませんか(^^)
たくさんのご応募お待ちしております!
7月17日 文化課のSNSアカウントを開設しました!
宜野湾市教育委員会文化課では、市の誇りある大切な文化財をより多くの市民に親しみやすく知ってもらえるようSNSアカウントを開設しました。
文化財に興味はあるけどなかなか機会が、という声もよく聞かれます。
まずはお気軽にSNSでつながってみませんか?
たくさんのフォローお待ちしています(^^)!
7月16日 野嵩スディバナビラ石畳道 文化講座始まります!
市野嵩に、琉球史にも関わる重要な石畳坂道があるのをご存じでしょうか? 以前は「野嵩石畳道」という名称で知られており、現在「野嵩スディバナビラ石畳道」と名称を変えましたが、今日でも地元の方々にとって日常の道として利用されています。
「スディバナビラ」
なにか読みにくい名称だな(^^; なんて思ってしまう方もいるかもしれませんが、この名称にこそ実は歴史ロマンが秘められているのです。
「スディバナビラ」は、「袖(そで)が離れるビラ(坂)」を意味し、その昔「護佐丸・阿麻和利の乱」の際、護佐丸の三男「盛親」を抱えて中城城から逃げた妻(あるいは乳母)が、阿麻和利の軍勢に追いつかれて袖が引き裂かれた場所とされることから地元ではそう呼ばれてきたと伝わります。
1989年に宜野湾市の市指定文化財に登録され、2018年の文化財調査の際に県道西側にも石畳が埋まっているのが発見されたため、2023年2月にその部分も追加指定すると同時に名称を「野嵩スディバナビラ石畳」へと変更しました。
(上写真:ブルーシートで覆われた部分に新たな石畳が発見された)
現在進行形で発掘調査が行われている中、より多くの方にその内容を知ってもらおうと、調査の進捗報告やスディバナビラに纏わる昔話、石畳の技術的な要素などを交えた文化講座を開催することが決定しました!
月一回の全8回講座で、今月20日にスタートとなります。
現在申し込み受付を行っていますので、興味のある方はぜひご参加ください(^^)
7月10日 橋名板に書かれたイシジャーってなに?
前回お伝えした「アンナ橋」の写真の中に、「イシジャー」と書かれた謎の橋名板があったのに気付いてもらえましたでしょうか😄?
橋の橋名板は通常、片方に橋の名前、もう片方には川の名前が刻銘されていますよね。
そうなんです、この「イシジャー」とは橋の下に流れる川のことで、漢字で書くと「石川」なんですよ😄
”イシジャーは、石灰岩台地に形成された普段は水が流れない枯れ谷で、渓谷状の地形を呈しています。一部流水もみられ、他の琉球石灰岩地域では見られない珍しい地形といえます。どのようにこのような地形が形成されたのか、成因の研究を含め、学術上も重要な地形と考えられます。県指定天然記念物のクロイワトカゲモドキが生息しています。
渓谷の両脇には、背後の石灰岩を利用して概ね約120基前後の多種多様な型式の古墓が分布しています。このうち、返還された西普天間住宅地区では、平成26年度の表面踏査や平成29年度の調査で79基の古墓を確認しました。” 市文化課HPより
このような貴重な地形や生態系を崩さないようにと、川を埋めずに橋を架けることが決定されたのです。しかも橋脚を一本も使わない最先端の工法が採用されました。
そのような開発経緯にも想いを寄せて渡ってみてもらえればと思います😄
7月9日 アンナ橋初通過!
こんにちは! 宜野湾市文化課です😄
本日紹介するのは~、宜野湾市内の
『アンナ橋』です😄
え?それ宜野湾のどこ?と思われる方も多いと思いますが、現在開発が進んでいる西普天間住宅地区跡地内に掛かった新しいブリッジなんです?
琉球大学病院が開院するあのエリアです!
なぜ『アンナ』なのか?
実は戦前までこの辺りには宜野湾の安仁屋集落がありました。ウチナーグチで安仁屋は『アンナ』と呼ばれていたんですね。
それで新しい橋に『アンナ橋』という名前が付きました😄
文化課では本日初めて通ってきました♪
もうすぐ一般車も通れるようになりますよ?
楽しみですね〜😄
甲斐バンドの『安奈』を聴きながらがお勧めです♪
7月3日 神山テラガマ
今日は、現在普天間飛行場基地の一部となっている字神山のテラガマ(洞窟)に行ってきました。
古くから地元の方々の拝みの場所で、戦時中は避難壕にもなりました。
普天満宮の女神伝説では、後に女神となる女性が首里の桃原から普天満の洞穴に逃げ隠れる途中で休んだ洞窟とも伝わり、また摩訶不思議なロゼッタストーンとも称される「線刻石板」が見つかった場所でもあります。
*一般見学はできません
7月2日 沖縄平和祈念像「原形」復活事業始まっています!
県民の皆さんは、糸満市にある沖縄平和祈念公園の沖縄平和祈念像をご存知だと思います。
学校行事の平和学習や修学旅行などで訪れますよね。
その平和祈念像の原形がどこで制作されたかご存知でしょうか?
実は宜野湾市の普天間なんです!
しかも、沖縄を代表する芸術家「山田真山」氏によってデザイン、制作されたんですよ(^^)
その原型(平和祈念公園にある祈念像は、この原形を基にして造られた漆造りの像です)が今でも普天間のアトリエ内に眠っており、市ではこの原形を復活させて普天間から平和を願い世界へ発信しようというプロジェクトをスタートさせています。
どのようなプロジェクトなのか、進捗はどうなのか、などなどを今後定期的に発信していきますね(^^)
興味のある方は、「山田真山」さんのこともぜひ調べてみてください(^^)
クラウドファンディングも実施しています。
この記事に関するお問い合わせ先
文化課 文化財整備係
〒901-2203
沖縄県宜野湾市野嵩1-1-2
電話番号:098-893-4439
更新日:2024年07月31日