今日の文化課 2024年10月

更新日:2024年11月01日

10月31日 【文化財の上に住む天然記念物!ダブルの大謝名メーヌカー】

今日は雨予報だったために西普天間内での草刈りは中止にしたものの、、意外と崩れませんでしたね😅 

シルバーさんたちも、西普天間じゃなくてもできるところを作業しよう!と大謝名メーヌカーの清掃に入ってくれました♪

結構草も伸び、なんといっても自慢の3つの樋の上に草が茂り、クワズイモなんてちょっとした子供の背丈くらいに成長してしまっていたので気がかりだったんです😅

なんで伸びたらすぐ切らないの?と思ってしまうかもしれないですが、

実は大謝名メーヌカーの樋部分には「オオイシソウ」と「タニコケモドキ」という市指定の天然記念物(淡水紅藻)が生息しており、樋上の草を刈るにもだいぶ慎重に作業しないといけないんですね😅

これらの淡水紅藻は海水と淡水の混ざる河口近くでも見られることから、昔はこのあたりまでが海岸だったという説も頷けますよね。

そういうこともあり今日は職員も立ち合いで、慎重に慎重に草を刈ってきたというわけなのです♪

こちらの大謝名メーヌカーは昔から地元の人たちの生活用水としてはもちろん、祈りの場でもあり、お正月には「若水」を、子供が生まれたら「産水」としても利用されてきました。

現在も年の節々には区民の方によってカーウガミが行われていますよ😄

樋の上にはしっかりと香炉が安置されていますね。

水量もとても豊富なので、夏場の暑い時期にちょっと涼むにはもってこいの休息場です♪

また、カーに下りていく石畳の階段もすごく綺麗な姿で残っており、昔懐かしい雰囲気を味わえますよ😄

大謝名メーヌカー:市指定史跡

オオイシソウ・タニコケモドキ:市指定天然記念物

10月30日 【動く日は近い!平和祈念像「原型」も浮いて待つ!】

今日は久しぶりに、沖縄平和祈念像「原型」の復活プロジェクト進捗状況をお伝えしましょう♪

前回お伝えしたのが7月31日となっているので、丸々3か月経った後の状況ということになります😄

3か月前のネタをまだ読んでないという方は、ぜひ前回の状況ご覧になってから今日の進捗を見てみてください。

よくぞこういう技法で保存しようと思いついたよな~という部分だけでもびっくり😅

さらに現在の進捗状況を見ると、もうプロジェクトXの世界!

ほんと、課内でもプロジェクトXに取り上げてもらえるんじゃない!?と期待していたりいなかったり😄!?

NHKさん、いかがでしょう!?

さて、前回は巨大原型像土台の下の土を掘り、空いた空間に鉄骨を逆ジェンガのように組み上げ像を浮かせるというところまで紹介しました。

今回はそこからです。

完全に像を浮かせた後、組み上げた鉄骨の下部にコンクリートを敷き、土間のような下地空間を造り上げます。

数週間かけて固まった状態がこちら

さらに原型像の土台を包み込むように同じくコンクリートを流し込んで固める

そして型枠を外した状態がこちら。厚さがはんぱない😅

さらにさらに、原型像内部の骨格ともいえる支柱部分の基礎部もガチっとコンクリートで固めて安定性を補強も補強!

↑原型の内部はこのような姿になっています😅

なぜここまで頑丈に頑丈を極めるのか!?

そう、前回もお伝えしましたが、像を浮かせた状態で像土台と土間の間にレールを敷き、像をそのままの姿で時間をかけて引っ張り出す「曳家工法」を行うため、像の姿・強度を完全な状態にする必要があるからなのです。

引っ張り出すんですよ😅

プロジェクト完了にはまだまだ時間がかかりますが、定期的に進捗をお伝えしていきますので引き続きお楽しみに~😄

10月28日 【昔から変わらぬ豊富な水量「ヤマガー」】

10月最終週も絶賛草刈り作業です!

今日は西普天間住宅地区返還地内の泉群の一つ、「ヤマガー」付近の大がかりな草刈りを行いました♪

だいたいこのあたり

草刈り前↑

↑こんな藪状態😅 真ん中の黒く窪んでいるところの下にヤマガーがあります。

「ダンチク」と呼ばれるキビのような竹のような3mを超える植物が鬱蒼と茂っていて、かなり苦戦しました😅

が、シルバーさんたちの超強力助っ人パワーで、丸一日でこんな仕上りに!

↑中央の窪んでいる下にヤマガーがあります。

↑ヤマガーに続く歴史の道

このヤマガーには、カーの頭上にあったと言われる巨大な松「ヤマガーマーチ」(現在は消失)と、泉前の両端には船を紐で括り付けておいたと伝わる岩「フニクンジャー岩」が知られていたようです。

↑泉の前から撮った写真。ここも一面草が生えていましたが綺麗さっぱり!

左右に見える大きな岩がフニクンジャー岩。その名の通り、このあたりまで船が行き来してたとの伝承があります。

ヤマガーは今でもものすごい水量で、草を刈っている間に刈った草が水の行き場を邪魔し、あっという間に泥沼へと変身してしまうほど😅 長靴がスッポリ埋まるかと思うほどでした。

もちろん刈ったあと草を綺麗に片づけ、水も勢いよく下流へ流れていきました。

なんと水辺にはウナギもいましたし、メダカかな?も結構多くみられました♪

右上の穴から勢いよく水が湧いています。

本当に宜野湾は水どころだったんだな~と納得させられます😄

まだまだ草刈りは続くのですが、

明日以降は台風の影響なのか雨模様ですね~。。

もしかすると明日はまた事務所ぐまいーかもしれません😅

皆さんも台風にはお気をつけて~😄

10月25日 【草刈りウィークエンドは「新城」!色々遺構残ってます!】

引き続きバリバリと草刈作業を行っております😄

今日は西普天間返還地区の喜友名~新城エリアの草刈りを行いました。

だいたいこのあたり

今年は草の伸びが早い!

前回の草刈りは6月ころかな? 4か月ほどでこれまた人の背丈以上に伸びてます😅

草刈り前↑

草刈り清掃後↑

こちらのエリアには、戦前まで使われていたであろう古道の石積み痕跡がしっかりと残っています♪

この石積みの上を道が通っていたと考えられており、石積みは道が崩れないよう土留めの役目だったと考えられます。

さらには、新城集落の発祥の地としての伝承が残る「ウィーヌトゥン遺跡」もその面影を残しています。巨大なガジュマルが聳え立ち、すごく厳かな雰囲気ですよ😄

それから、このガジュマルのすぐ近くにはかつて岩盤を切り取っていた「石切り場」も残っており、綺麗に切り出された石の遺構から当時の人々の生活をより身近にイメージすることができます。

我々の大事な歴史遺産としてしっかり残していきたいですよね♪

新城の北側にはかつての宜野湾北端集落「安仁屋」があったのですが、安仁屋は今回の返還でも返還地区には入っておらず、未だ幻の集落となっています。

しかし返還地に架けられた新しい橋は「アンナ(安仁屋)橋」と名付けられ、その橋の存在が人々に安仁屋を忘れず思い出させ続けてくれるでしょう♪

さ~来週も草刈りウィークがんばりまーす!(台風心配。。)

10月24日 【次回イガルー・シマ文化財教室は屋外講座!まだ間に合う!】

今日はものすんごい雨でしたね~😅

前もってニュースなどで大雨注意と聞いてはいましたが、、そこまで降る??くらいふりましたよね。。

市道11号はまたまた冠水していました。。

ということで、本日はやーぐまいならぬ事務所ぐまいーでした😅

予定していた草刈り作業もさすがに中止となりましたので、先日の業務のお話を♪

次回のイガルー・シマ文化財教室(11月2日)が屋外講座となっているため、昨日はそのルートの下見とタイム測定を行ってきました。

こちらの写真がどこだか分かりますか😁

ヒントは~、宜野湾です!

って、あてーめーやさにー😂

ここは現県道が通る前の真栄原十字路(ヒャーガーラカジマヤー)です😄

浦添との境界・宜野湾の入り口ということもあり、一昔前にはだいぶ賑わっていたようです♪

なんとなくその雰囲気も残っていますよね!

それからこちら

ちょっと難しいかと思いますが、嘉数中学校正門横の妙な細道なんです。

実はこの細道が元々の公道であり、王府時代に植樹された「ジノーン並松」および「普天満参詣道」の一部でもあるのです😁

先ほどの旧真栄原十字路から真っすぐ北上すると、この道へ進入するというルートになっています。

実はこちらの道も「宜野湾歴史の道」の一本として文化財登録を目指していく予定ですので、また歴史の道シリーズでも詳しく紹介しますね♪

さらにこちら

こちらは比屋良川(ヒャーガーラー)沿いにある「真栄原のウブガー」です。

古来より真栄原の方々の大事な生活用水、信仰の対象ともなってきました。

最後はこちら

普天間基地佐真下ゲートあたりです。

右側に伸びるのが市道11号、左手にゲートですね。

ちょうどその二本の道の真ん中あたりから基地内に向かって「普天間参詣道」および「ジノーン並松」(同じ道)が通っていました。

戦前までは天然記念物にも指定されていた「ジノーン並松」、それが今では一本も残っていないというのは悲しいですよね。

それでも現在、嘉数から佐真下にかけての道路沿いには、当時への思いを馳せるようになのか松の木が植えられていますよ♪

次回通ってみる際には気を付けて見てみてくださいね😄

それから次回のイガルー・シマ文化財教室屋外講座【真栄原のまち歩き】に参加してみたいという方は、お申込みまだ受付けておりますので、お気軽にお申込みください♪

お申し込みはこちらから

10月22日 【スーパー助っ人職人集団“シルバーさん”と草刈りウィーク】

さ~予告通り!文化課では今週から大がかりな返還跡地の草刈り作業開始でーす!

今週は喜友名の米軍ハウジング跡地から喜友名グスク跡にかけてを、人が通れるくらいの幅で草刈り。

喜友名のでいご通り(現ぎのわんヒルズ通り)にフェンスがありますよね。そのフェンスの内側になります。

前回お伝えしましたが、たった数か月で人の背丈ほどまでに草が伸び、以前刈った場所が分からないほど(^^;



それを数百メートル、さらには高低差がある丘陵部分も草を刈っていくんですから、なかなかの重労働&技術が必要です。

しかし、このような作業を行う際に我々には超強力な助っ人がいるのです!

それが「シルバー人材センターのシルバーさん」たち!

ほんと毎度感動するほどの素晴らしい仕事をしてくれて、我々を含め皆さんが文化財を気持ちよく見学できるのはシルバーさん清掃あってのことなんです!


(↑結構偶然に、刈る前に撮った上の写真と同じアングルで撮れてた😄)

しかもその技術と連携力がすごい! さすがベテランの域パワーで、毎度の仕上がりの完璧さに感銘を受けるばかりなんです。



今回も、この背丈ほどある草の茂りを数百メートルに渡って刈り上げてくれて、当初は何日かかるのかと思っていましたが、たった二日で仕上げてしまいました!



グスク周りの歴史の道、そしてフトゥキアブ周辺もサッパリと刈り上げてくれています。



しかし暑かった!!もう10月後半だというのに日中は31度を記録。。

木陰があるところは風もあってどうにか涼しかったんですが、写真でも分かるように日差しを遮る木などが無いところは本当に何にも無い(^^;

とにかく熱中症に気を付けて、休憩を挟み挟みしながら仕上げました♪

そういえば休憩中にシルバーさんの一人が、お家で「タルガヨー」が実ったよ~と差し入れしてくれました(^^)

暑さの中でその甘酸っぱさがたまらなく美味しかったんです♪



さ~、10月草刈はまだまだ続く! 天気が気になるところですが(^^;

残暑を乗り切り頑張りましょう~!

10月21日 【宜野湾歴史の道を国指定文化財へ!市県民巻き込みいよいよ始動!】

去った土曜日、無事に第一回「宜野湾歴史の道文化課教室」を終えることができました〜😄

たくさんのご来場、誠にありがとうございました!

皆さんの熱心な受講姿からは、このようにもっともっと市民県民を巻き込んでいけば、大きなうねりを作ることができれば、本気で宜野湾歴史の道を国指定文化財登録に持っていけるぞ!と感じさせられたのでした😁👍



辻プロジェクトマネージャーの講話は、日本の歴史から琉球の歴史を一気に駆け抜けて、双方がどういう関係性にあったのか、稲作というキーワードを中心に展開。

さらに薩摩侵攻、戦国時代の終焉、明という大国の衰退、欧州の勢力拡大という世界的なタイミングが重なりも重なり、その後の琉球を大きく左右してきたという時系列をグローバルな目線で紹介。

またその時代にこそ琉球でも「情報伝達」としての「道」の重要性が大きく増し、それが現在の公道へも繋がっていくという必然的な関連性が興味深かったです😄

第二回目からは、更に踏み込んだ「宜野湾歴史の道」へとジノーン深掘りしていきますよ♪

第二回のみの受講も🆗ですし、第二回目からの受講もウェルカムです😁

ともに国指定目指して盛り上げていきましょう〜!!

ご応募はこちらから

10月18日 【明日からいよいよ「宜野湾歴史の道文化財教室」始まるよ~!】

さていよいよです!

明日10月19日より、「宜野湾歴史の道」国指定文化財登録に向けての文化課プロジェクトお披露目開始です!

これまではわりと文化課内にて秘密裏に!?総力を挙げて温めてきた「歴史の道」プロジェクトでしたが、いよいよ満を持して!これまでの発掘調査結果や、今後の展開に向けての報告を市民・県民の皆様に向けて、なんと四回にも分けて発表させて頂く機会を得ることとなりました!

全四回講座の詳細はこちら

明日の第1回目は、宜野湾市文化課のプロジェクトマネージャーである「辻純一」氏を講師に、宜野湾歴史の道プロジェクトのおおまかな概要説明はもちろんのこと、まずはそもそもの日本史・琉球史全般のおさらいをしてみようということで、どのような過程で琉球が成立し現代に至るのかまでを要所要所かいつまんでお伝えし(これだけでも聞きごたえバッチリ!) 文化財の発掘~整備~保存の意義とは? 文化財を登録する・活用する意義とは? などをテーマに講話をします。

琉球史興味あるんだけど、、なかなか触れる機会がない、何から手を付けていいのか分からない。そのような方、たくさんいらっしゃると思います(^^;

まさにそのような方にこそ!明日の講義はピタンコカンカン!明日の興味がこの先の歴男・歴女への道への第一歩となり得るはずです(^^)

実はすでに明日の講座の応募締め切りは終えているのですが、まだ若干お席に余裕ありますので、当日受付でも参加したい!と思われる方は、午後1時までに現場にて受付をお願いいたします♪

受付に当日参加でとお伝えくださいね(^^)

ともに学び、ともに国指定登録を目指していきましょう♪ 

多くのご参加お待ちしております!

・宜野湾歴史の道文化財教室・

10月19日(土曜日) 午後1時開始 (午後12時半受付開始)

場所:宜野湾市民図書館2階

そして夕方からは宜野湾市青年エイサー祭りですね!

講座後のエイサーも格別だと思いますよ♪

エイサーについてもいろいろ面白いネタありますので、それはまた後日~(^^)

10月16日 【本部御殿墓で出会った3名の歴淑女】

今週は宜野湾市内に所在する文化財の定期チェック、文化財パトロールを行っています(^^)

ただ、、予想も付かない沖縄特有の「カタブイ(通り雨といったらいい?)」の連発により(^^;

なかなかスムーズに進めていません。。文化課といっても作業内容はどちらかというと屋外の現場作業の方が多く、天気に左右されることが多々あるんです。

昨日午前なんて、雷を伴うあのような豪雨のために一件回っただけで退散でした(^^;

そして今日は、天気の様子を見ながら雨が降っていそうなとこは避けて回り、なかなか順調に進められましたよ♪

そんな中、文化財の一つであります我如古の「本部御殿墓」のチェックに入っていたところ、同じタイミングで3名の気品あふれる参拝者が上がってらっしゃいました。

なかなか同じタイミングで鉢合うことなど無いんですが、参拝の邪魔になることのないよう早めに切り上げようとしたら、先方の方からお声をかけていただいて。

少しお話を聞かせてほしいんですがと。

もちろん喜んで(^^)!

こちらのお墓は王族関係の方のお墓ですか? 本部というのは苗字ですか? であればなぜこの我如古の地にあるんですか?と。

いい質問ですね~♪

なんて言っておきながら、実はなぜ本部御殿の墓が宜野湾の我如古にあるのかはまだはっきりと分かっていないのです(^^;

8月のお盆のネタでもこちらの本部御殿墓 x 我如古のネタは書いていますので、興味のある方はぜひ読んでみてください。

本部御殿とは、第二尚氏10代国王「尚質王」の六男・本部王子朝平を元祖とする一族です。代々本部間切を領地として治めていたことから当主は「本部王子」や「本部按司」と呼ばれ、廃藩置県を経て日本となった後も「本部」を姓としているというわけです。末裔の方ももちろんいらっしゃいますよ。

などのようなお話をさせていただいたら、すごーい!なるほど~!深いー!と反応が良すぎるほどの反応をいただきまして、こちらも嬉しくなりました(^^)

文化財や歴史に興味を持ち、自分たちの土地や自身のアイデンティティーへの深堀につながってもらえると何よりです♪

*本部御殿墓は来月あたりに草刈り作業入る予定です。今は少し草が伸びているので、参拝される方は足元に十分お気をつけください。

10月11日 【刈って刈って刈り上げるんだ!】

10月以降は西普天間住宅地区返還跡地での現場作業が多くなりそうです。

今日はその前段として下見に入ってきましたが、植物の生命力ってホントにすごい。。



たった数ヶ月で、、人の身長ほど伸びるんですよね😅 前が見えない。。

その背丈の草をかき分けて(踏み倒して)進むので、陸上もも上げ運動そのもので、明日からの筋肉痛は確定でしょう😂(いや明後日か😂!?)

ハブ🐍対策にも気をつけてがんばりまーす!

引っ張ってる黄色いビニールテープは、草を刈る範囲の目印として共有するためです。

10月10日【学びの秋!市報10月号にも文化講座情報盛りだくさん!】

市報ぎのわん10月号が発刊されました(^^)

先日行われた「はごろも祭り」の様子や、自治会情報などもりだくさん(^^)

さらに10月号には!文化課念願だった「文化課SNS開設」の情報がデカデカと掲載されています♪

しかも!でーじかわいくデザインされて(広報スタッフの方に感謝!)喜友名の石獅子をバックにかなりのインパクツ(^^)!!

これは効果が楽しみです♪(13ページ)

SNSでは日々文化課情報更新していますので、ぜひ皆さんもフォローしてくださいね~!

さらにさらに、秋はやっぱり学びの秋!沖縄でも暑さがだいぶ落ち着いてきて、ほんと何事にも集中できそうですよね♪

宜野湾市でも文化講座&イベントが目白押しですよ!

 

・10月5日~10月20日 ぎのわんの文化財図画作品展 宜野湾市立博物館

・11月2日(土曜日) イガルー・シマ文化財教室 (講座) 真栄原区公民館

・11月2日~12月22日 「洞窟のナゾ展」 宜野湾市立博物館

・11月9日(土曜日) 宜野湾歴史の道文化財教室 宜野湾市民図書館

・11月10日(日曜日) 宜野湾市の洞窟~自然・歴史・民族~(講座) 宜野湾市立博物館

・11月16日(土曜日) 野嵩スディバナビラ石畳道文化講座(屋外講座) 野嵩~中城城跡

 

こちらの詳細内容が市報12~13ページに掲載されています。

(オンラインでも読むことができますよ♪)

数日内には市報が市内在住の皆様には届くと思いますので、

ぜひチェックしていただき、ともに実りある秋にしていきましょう~!

ご参加お待ちしておりまーす(^^)

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10月9日 歴史の道を訪ね歩く Vol.8【古道の雰囲気残る大謝名のスージー道】

さ~、宜野湾歴史の道(中頭方西海道)はまだまだ続きますよ(^^)

前回Vol.7は宇地泊からジャナマガヤーを経て大謝名集落へと入ってきました。今回はその続きです。

(写真:国土地理院)

大謝名集落へ向かう道は二つあって、一つがクンカーミチを通りナカミチ~フルミチへと進んでい行く道筋、真っすぐ行くと小学校、公民館があります。

もう一つは集落の端を通って(おそらく集落の反対側は高低差のある縁)フルミチへと向かう道筋です。

この二つ目の縁道が現在の県道34号線の元となる古道で、フルミチに入っていく交差点が現在も三角地状の形で残っています。

さらに現県道の北側にも結構な高低差があり、昔ながらの地形の名残が残っているのではないかと考えられます。

(少し分かりにくいですが、向かいに見える小道のもう少し上にも出入口があります)

このフルミチを入っていくと道が二股に分かれており、

左手に進むと、かつて農作業後に牛を洗うのに使われていた「ウシアミシガー」が今でもコンコンと水を湧き出しており、

右手に折れると昔ながらの小道(フルミチ)が続き、やがて国道58号線に合流します。

ここから先は、おおよそ現在の国道58号線が元の国頭方西海道と重なり合うので、近代の開発を受け街道沿いの史跡はほぼ残っていません。

唯一可能性があるとすれば、大山小学校あたりに対で「一里塚」があったということ。もしかしたら国道から普天間基地に上がる交差点のステーキ屋さんあたりの小高い丘がそうかもしれません。いや、もしかすると戦後米軍の造成によって姿形無くなっているかもしれません。

そして中頭方西海道は伊佐~喜友名へと入っていきます。

つづく

10月8日 【嘉数高台公園展望台、リニューアル工事終わりました!】

嘉数高台公園の大きな見どころポイントの一つである、展望台のリニューアル工事が終了し再び上れるようになっていますよ(^^)

普天間基地の様子が見えること、沖縄戦では激戦地となった高台(嘉数高地)であること、慰霊碑の数々、そして生々しい戦跡が今でも残っていることなどから、県外から見学にいらっしゃる方も多い嘉数高台公園。

せっかく来たのに、工事中で展望台へ上れずに残念がられた方も多いはず。

しかし、ようやくリニューアルを終えて、展望台内の説明版の数も増え、外装もとても綺麗になり、夜間照明設備も加わってより親しみやすくなっています♪

数年前には公園内の遊具もリニューアルされましたし、今年の2月には150本もの桜の植樹もあった嘉数高台公園。しばらく行ってないな~と思われる方は、その変化にびっくりされるかも(^^)

ここでひとつトリビアを♪

約30年ほど前には、嘉数高台公園内に今ではあまり考えられない、とある公共施設がありました。

それは一体なんでしょう!?

宜野湾市民なら知ってるよ~と思われるかもしれませんが。

なんと、公園内にプールがあったのです!しかも屋外です(^^)!

こちら1993年の嘉数の航空写真ですが、真ん中少し左あたりにプールが見えますよね♪

プール右手広場が嘉数高台公園で、展望台の青い丸も見えますよ(^^)

そのプールの名残は今でも残っていて、現在はすっかりゲートボール場のような四角形の広場になっています(^^;

公園を訪れる際にはぜひ見てみてくださいね♪

(航空写真:国土地理院)

10月7日 【真栄原・佐真下の集落と歴史を学ぶ文化財教室大盛況!】

去った5日土曜日、第三回イガルー・シマ文化財教室「真栄原・佐真下のよもやま話」が大盛況のうちに終了しました!

地元の有志、仲村元惟先生をお迎えして、先生の実体験や豊富な知識、聞き取り調査で得た貴重なお話しなどを盛りだくさんに聞かせていただきました(^^)

当日の地元からの飛び込み参加者も多く、活気あふれる教室となりましたよ♪

講座後のアンケートの答えにも、もっと聞きたかった!初めて参加したけど面白かった!次の企画もお願いします!先生のおかげで地元の歴史にとても興味がわきました!などなどの声が寄せられて、運営側である私たちもとても嬉しく思っています(^^)

やはり参加者はご高齢の方が多い傾向にはあるんですが、最近では20代、30代も少しづつ増えてきていて頼もしい限りです♪

ぜひ若い方も、まずはという思いで構いませんので、軽い気持ちで参加してみてくださいね♪

次回の第四回講座は11月2日(土曜日)、今回学んだ真栄原・佐真下の街歩き野外講座を行いますよ(^^)

歩きながら歴史を伺い知ることができる文化財を見学したり、琉球国時代の古道の道筋を辿ったり、今回の座学を受けていなくても十分学び楽しめる内容になっていますので、どしどしご応募くださいね♪ 

こちらのブログで最近取り上げている「志真志ガーラ」近辺も歩きますので、そのへん気になっている方もぜひぜひご参加ください!

歴史を知り学ぶことで人生はより豊かになります(^^)

さらなる宜野湾の発展を目指し、ともに学んでいきましょう~!

講座全スケジュールはこちらから

10月4日 【九月だから厄除けに 普天満参詣いかがでしょう】

はやくも9月に突入ですね~!空気も秋っぽくなってきました(^^)

は? ぬーいっとんばー? もう10月やさに。

そう、新暦では10月なんですが、旧暦では9月に入ったばかりなんですよ(^^)

今日、10月4日は旧暦の9月2日です♪

月の満ち欠けや海の満ち引きは、もちろん時代変われど旧暦で読みますよね。

なので漁師町は特に、いまでも旧暦を大事にしているんですよ(^^)

さて、実は旧暦の9月は、琉球国時代から「凶」の月と考えられていました。

特に9月9日は「重陽」と呼ばれ、縁起のいい日でもありながら一方では、「陽(奇数)の最大数字が重なる不吉な日」とも考えれていたようです。

本土の方では、この時期に咲く「菊」が邪気を払うと信じられ、菊の花を浮かべた「菊酒」などで厄除けや長寿祈願を行ってきました。

琉球でも9月は凶月とされ、毎年9月中日には国の安泰を祈願し、国王自らが首里から浦添を経由し普天満権現を訪れる「普天満参詣」が行われるようになったといわれます。

すると9月の間中は普天間に人々が集まり活況を呈し、次第に庶民までもが普天満参詣を行うようになったといわれています。じのーん並松もその参詣道の一部だったんですよ(^^)

現在、浦添市内における普天満参詣道の一部(浦添所在部分)が、国指定の「歴史の道」に登録されていますよね♪

その続き、というか参詣道の終着地である「普天満宮」までの宜野湾側の参詣道も国指定に登録してほしい!と現在、文化課では総力をあげて「歴史の道」指定を目指しているわけなんです♪ (目指すは中頭方西海道と普天満参詣道の二本)

そんな由緒ある普天満宮の例大祭は、今日でも旧暦の「9月15日」に行われています。もちろん王国時代からの「9月」にこだわり続けているわけです。

今年の例大祭は新暦での10月17日(木曜日)となっています(^^)

ぜひぜひこの機会に普天満宮へ参拝に訪れて、琉球国時代に思いを馳せてみてはいかがでしょうか♪

普天満宮HP

洞穴内に祀られている奥宮を見学するには、社務所にて受付が必要です。洞穴内の写真撮影はNGとなっていますので、ご理解よろしくお願いします。

そんなこんな宜野湾の歴史を学べる講座「宜野湾歴史の道文化財教室」は10月19日からスタートですよ!

まだまだ申し込みお待ちしてま~す(^^)!

お申し込みはこちらから

普天満宮洞穴:市指定名勝

10月3日 【志真志ガーラの河口は、、まさかの!?】

ドーダガーを源泉とするチブガーラからの志真志ガーラ、その川の最終地点がこれまた面白いんです!

どこにつながっていると思いますか!?

普通に考えれば、もちろん海ですよね♪

しかーし!

まだ川が見えてる時代の写真で川筋をたどってみても、ある地点で川が消えているんです!

それが、まさかの嘉数中学校!

(写真:国土地理院)

え?嘉数中にワープ空間でもあるの(^^;

と思ってしまいますよね。

しかしある意味ではワープ空間が存在していたんです!

それが沖縄特有の「ガマ」!

そう洞窟ですね。

嘉数中すぐそば、敷地内といってもいいほどのあたりに「ナガサクガマ」という大きなガマがあり、志真志ガーラの水流はそのガマに吸い込まれていたのです。

(出典:写真集「ぎのわん」)

しかしそのガマも、川筋と同じく地中に埋められ現在は全く姿かたちがありません。

現在の嘉数中隣のから揚げ屋さん(この間までコンビニ)あたりだったと聞いています。

埋められたのはそこまで昔の話じゃないので、案外覚えている方も多いのでは?

ナガサクガマに流れ込んだ水流は地下の鍾乳洞を通って大謝名あたりの湧水として湧いて出ていた(る)ようです。

さらにナガサクガマ近くには数個のガマが連続してあり、一番ガマ、二番ガマと数えられていたらしいですね。今では全て埋められ全くの面影もありません。

大雨になるとキングスクール(現カトリック沖縄学園)あたりは、人が泳げるような大きな水たまりができたため、昔から「ミジタマヤーバル」と呼ばれていたそうで、そのたまった水も真栄原のガマ群に流入して引いていったようです。

ちなみにキングスクールといえば!

沖縄出身アイドルの「シンシア」こと、「南沙織」さんが通っていた学校としても知られています(^^)

宜野湾って、面白いですよね~(^^)♪ じのーんなとーん!

10月2日 【志真志ガーラの川筋を追う!不自然な小道こそ怪しい!】

チブガーラからの志真志ガーラ、まだまだ面白い話・スポットがあるので続けてみましょう♪

すでにそのほとんどの川筋が暗渠となり地下を流れているので、なかなかその姿を想像しにくいとは思いますが。

まず分かりやすいところで言えば、国道330号線の志真志交差点近くのガソリンスタンド横の志真志小学校へ抜ける歩道。

場所はこちら

この不自然さが面白くて何かしら意味がある(^^)♪ そう、ここがかつての川筋で、この下を川が流れているはずです。そのまま志真志小学校の敷地内を流れ、我如古ヒージャーガーまで伸びています。

また道を挟んで反対側のローソン駐車場の端っこにも、明らかに不自然な小道があり、これも川筋なはずです。

一方、我如古ヒージャーガーは崖の下にあり、そのあたりが渓谷状になっている様子から、昔はここに川があったんだろうなという雰囲気は感じられます。

加えて、かつてここが川だったとはっきりと分かる名残も残っています。

それが「我如古上之川橋」という一枚岩の石橋です。

我如古ヒージャーガーからさらに階段を下り、両サイドがお墓群の小道へ出ます。

この小道もかつての川筋で、川に蓋をし、その上が道になっているようです。

この道を志真志小学校とは反対の方向(下流向け)へ数十メートル歩くと、右手にフェンスで囲まれた一角が見えてきます。

場所はこちら

草が茂ってる時にはなかなか見えにくいのですが、

このフェンスの中に石橋が残されているのです。

(綺麗に清掃された時に撮った写真)

この橋を残すために川筋は一部付け替えられましたが、ほぼ道沿いと考えていいと思います。

橋の北側にはクムイ(淵)もあったようで、子供たちの格好の遊び場となっていたんでしょうね♪

実はこの「上之川橋」、あの上杉茂憲県令も県内を巡回視察された時に渡ったと記録が残っています。

上杉県令の話はそれだけで一つの記事になるので、また別の機会に(^^;

そして志真志ガーラはさらに我如古~真栄原方面へと流れていきます♪

つづく